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ジャパでアニメ

エヴァと進撃の巨人OP、比較。

やかましいひでくん

 どうも、やかましいひでくんです。以下の文章は僕がIBDP(高校)卒業間近の時にジャパ(日本文学)の教科で書いたエッセイです。アニメ、もしくはIBDPのジャパについて少しでも興味のある方に読んで頂ければ幸いです。

~寄せては返す多種多様な芸術的技法~

 アニメの偉大さや凄みを測るにあたり、我々は様々な軸に定規を当てる事が出来る。メッセージ性、アニメ音楽とストーリーの雰囲気の合致、読者の心を鷲掴みにして離さぬ魅力、実に多種多様な切り口からアニメを評価する事が出来る。だが、これらの観点は究極的に、どれ程観客の脳裏に作品の名を刻み込めるか、という点に煮詰まるのではないだろうか。

 アニメオープニングは各話30分も無い週1地上波放送アニメの観客へのインパクトを高める為にありとあらゆる方向から観客の感性を刺激する。印象に残ったアニメのオープニングを再度見て分析すると、観客が忘れる事が出来ない技法、主題歌の歌詞、主題歌の伴奏音楽、色彩、アニメーション、様々な技法が綿密に結び合い、その効果が共鳴する様にオープニングが作られている事に気付いた。

 勿論他にも論評すべき珠玉の如しアニメオープニングはある。だが筆者の疎き知識故に『エヴァ』と『進撃の巨人』に焦点を充てる事、この事に対し許しを請いたい。

 御託を並べるのはここまでとして、本題に入る。なお、本論文で取り扱う主題歌の歌詞は、週1でオンエアされるアニメオープニングの歌詞に準拠する。


(※もし、アニメ作品を見た事がなければウィキ等で、あらすじを読み以後の文章を読むと議論が分かり易くなる。また、以下の議論で音楽的な話した際に参照する楽譜へのリンクも貼っておく)


議論を展開する前に、以後の議論の主要論点を示しておく。

「どのようにアニメオープニングは観客に強い印象を与える事が出来るのか。」という問に対し、主題歌の旋律歌詞アニメーションに関する技法とその効果を解説する事で問に答えていく。

 観客に凄まじい印象を与えるアニメには、本編に引けを取らないインパクトを与えるオープニングが追随する。観客を怒濤の勢いで本編の世界観に引き込む力が働いているのだ。その力はどの様に生まれるのだろうか。

「残酷な天使のように 少年よ神話になれ」

「Seid(ザイデ) ihr(イァ) das(ダァス) Essen(エッセン)? Nein(ナイン), wir(ヴィ ア) sind(ジンデェ) der(デェア) Jager(イェガー)!」

 両曲の冒頭を聞くだけで、観客はアニメの世界観に没入出来る。各冒頭を比較すると、『エヴァ』と『進撃の巨人』の冒頭は全く異なる。だが、各冒頭の根底には観客をアニメの世界に引き込む為の同じ技法が使われていた。

 両曲の冒頭の歌詞は、各アニメの世界観を象徴している。

 『エヴァ』は、謎の生命体「使徒」と人類の間に繰り広げられる残酷な戦いを主人公の少年、碇シンジの立場から主に描く。無慈悲で残酷な天使、「第14使徒」の攻撃は人類を絶滅寸前の窮地に追い込む。「第14使徒」との戦いの最中、シンジが乗るエヴァ初号機は暴走、切断された手を修復・自己再生し、天使の輪が頭上に広がり、シンジとエヴァ初号機は人類の叡知を凌ぐ「神」に近づいていく。

第14使徒との戦い(新劇場版から引用しているのは、アニメ版がyoutubeで見つけれなかったため)

 『進撃の巨人』は、「人類」を殺戮の為に捕食する謎多き「巨人」と「人類」の戦いをエレンの視点から描く。本作は『エヴァ』が日本人に比較的馴染みのある文化、地理設定であるのに対し、繋がりがほぼ無い舞台設定だ。第一話のタイトルが「二千年後の君へ」、時間軸を錯綜させる。中世ヨーロッパ、特にドイツを彷彿とさせる建築様式や苗字、衣服を身に纏う人々が登場し、物語は架空の大陸(島)で展開する。『エヴァ』に比べ時間軸、文化、地理的に日本人に馴染みがあまり無い要素が犇めき合っている。

 『進撃の巨人』はヨーロッパの神話・民話の様な雰囲気が漂い、「巨人」の存在がそこまで異質ではないが、『エヴァ』において「使徒」の存在は傍から見ればかなり異質だ。

 各アニメの特徴的な設定は裏を返せば、世界観を理解、世界に没入する事を妨げる障壁であり、諸刃の剣だ。だが、冒頭の歌詞は障壁を物語世界への踏み台に変える。

 『残酷な天使のテーゼ』歌詞冒頭は物語の道筋をなぞる様な歌詞であり、最初から「残酷な天使」の存在が正当化され、特徴的な世界に違和感を覚えにくい。加え、第一話(主題歌はこの回では流れない)を見逃し、途中参戦でも全く問題なくエヴァの世界を味わえる。

 『紅蓮の弓矢』の歌詞を一回目で聞き取れた猛者は果たしているだろうか。異国の言語で歌を切り出す事は以後の展開が未知の事で溢れていてもおかしくないと観客に意識させるのだ。

 各主題歌の冒頭の歌詞、アニメの世界観を凝縮させた歌詞。それは、アニメ本編に対する観客の文化的・地理的先入観という障壁をアニメの世界観に誘う入り口、飛び込む為の踏み台に変えているのだ。

 アニメオープニングには、繰り返し見ても飽きない深みが必要だ。週毎週見ていて飽きてしまっては、アニメ本編への熱が冷めてしまう。『残酷な天使のテーゼ』と『紅蓮の弓矢』の冒頭には段階的に深みが増す仕掛けがある。

 先程の論点、冒頭の歌詞は作品本編の世界観を凝縮している、を論じている際に、議論の論拠として、作品のストーリーと冒頭歌詞の整合性を指摘した。だが、この指摘はアニメを既に見たからこそ出来る指摘。初めて見る観客にとって、冒頭の歌詞の意味は謎だ。

 この謎は物語の展開と共にこの謎は紐解かれていく。

 『エヴァ』に関しては前の論点で指摘した通り、第14使徒との戦いでシンジとエヴァ初号機は「神」に近づく。これが冒頭歌詞と呼応する。

 『進撃の巨人』。最初は一切不明だった巨人の正体は徐々に明らかになり、巨人達は元は自分達と同じ「人間」、壁外には何百年も先を行く文明が存在していた、等伏線に富む話は読者の考察欲を掻き立てる。この時に必然的に異国の言語で歌われる異質な冒頭の歌詞が目に留まる筈だ。

「お前は食べ物か?否、我々は狩人だ!」
(筆者の解釈による冒頭の和訳)

(筆者の解釈による冒頭の和訳)

 エレン・イェーガー、イェーガーは狩人の意を持つ。だが、狩人は自分と同種を狩らない。巨人とは何か、姿形や知性が損なわれれば人は人でなくなるのか。その状況によって解釈は変化し、物語の展開と平行して冒頭の解釈は生き物の様に変化・成長するのだ。

 物語の全貌を隠した状態で、物語の道筋や設定をなぞる様に作られ、歌われる歌詞。深みと奥行が生まれ、聞く度に歌詞の意味合い、認識が変わる。冒頭の歌詞が適例なので取り上げたが、勿論この議論は歌詞全体に適応する。

 そして、聞く度に生き物の様に変わる意味合いを支えていたのは、根底を流れる重厚な本編の物語なのである。


 歌である以上、オープニングにもサビが必要だ。ただ、サビの部分がスベれば、アニメ本編に万全の状態で臨む事は出来ず、アニメ本編を殺してしまいかねない。故にアニメオープニングは、歌詞、アニメーション、音楽の技法を総動員し、サビを盛り上げる。名工が作った機械時計の様に、技法という名の歯車が緊密に噛み合う事で、オープニングは成立する。重複する技法は効果を何倍にもする。そうして、一度見たら忘れられない伝説のオープニングが誕生する。

 両主題歌の歌詞における視点の動き。

 歌詞の視点の位置の指標になる言葉に注目すると、焦点があたる対象はある規則に従い登場する。

 曲が始まってからのサビ直前までの歌詞、「わたし」(女性)の身体、「あなた」の顔、「あなた」の「瞳」、そして「背中」、「遥か未来めざすための羽根」。焦点が当てられる対象物に視点は徐々に近づき、「わたし」から「あなた」の身体に移り変わり、引いていく。これにより、視点が一気に引かれるサビ「この宇宙を抱いて輝く、少年よ神話になれ!」の壮大さが際立つ。

 視点を遠近によって『残酷な天使のテーゼ』はサビの迫力を生み出す。『紅蓮の弓矢』も視点を動かす事で同じ効果を得るが、軸が異なる。

 曲序盤の歌詞は「踏まれた花」、「地に堕ちた鳥」、「屍踏み越え」と藻掻き乍ら、地を這う様な視点から、サビ、「反撃の嚆矢」、「城壁の其の彼方」、「黄昏に緋を穿つ」という言葉で観客の視点を一気に大空を截るように見上げさせる。主に地上の物体に焦点を充て続けた歌詞が突如上を向く事で、「反撃の嚆矢」が蒼穹を一直線に截る様子が脳裏に一層鮮明に映る。

 「宇宙を抱いて輝く少年」、『残酷な天使のテーゼ』は対象物の遠近によりサビを盛り上げる。一方、『紅蓮の弓矢』は地を這う視点から大空を翔る視点へ上昇する事でサビに迫力を与える。それぞれの歌詞は視点の移動という共通した技法を駆使しつつ、異なる軸に視点を動かしサビを盛り上げていた。

 各主題歌での旋律や転調、歌詞と音楽の関係。

 両曲はサビの旋律、いわゆる曲の主題を冒頭で奏で、歌う。アニメの世界観を凝縮した歌詞とサビの旋律を冒頭に持ってくる事で、オープニングを何度も見る内により自然に世界観に浸れるようになる。だが、サビを聞く時の開放感は、積もり積もった緊張感が爆発する事で生まれる。緊張感が少なく、サビの旋律だけを準えた冒頭の「サビもどき」には力強い開放感は伴わない。冒頭に曲のミソを明かしてしまうネタバレとも取れる。だが、これは限られた時間の中でサビの印象を印象深く技法なのだ。

 最初の楽譜は「サビもどき」の旋律。最後の音が跳躍し、「神話になれ」という命令形の文を一層力強くする。サビでも似た旋律・フレーズが二度奏でられる。だが、一度目のフレーズは冒頭の「サビもどき」とは若干異なる。

 一度目に奏でられるフレーズの最後の部分は「サビもどき」とは対照的に音が下がる。

 「やがて飛び立つ」、この歌詞は飛び立つ為の踏み込みの役割を担う。音程を一旦下げる事で上昇する旋律を期待させ、音楽的に更に盛り上がる為、「踏み込み」をする。これが、文学的・音楽的効果の重なりであり、二度目(「迸る熱いパトスで…」)で一層盛り上がりを感じる所以なのだ。

 『紅蓮の弓矢』でも、冒頭の「Seid ihr essen? …」の歌詞の旋律はサビの旋律と同じだ。しかし、『残酷な天使のテーゼ』に見られるサビを更に盛り上げる為の踏み込み、「サビもどき」で高くなる音をわざとサビで一回低くする事はしない。だが、『紅蓮の弓矢』は転調(旋律の音の組み合わせを全て特定の音の高さだけずらす)をオープニングの中で6回も行う。

 頻繁に転調する事で曲は終始緊張感を帯びる。サビ、「サビもどき」関係無しにサビの旋律の調を統一する。サビの旋律が奏でられると同時に特定の調に転調する事で曲の中で音楽的対比を作り出し、繰り返し演奏されるサビの部分が一層印象的になる。これは歌詞で視点の先の対象物が一気に変る際に生じる見える景色や雰囲気の豹変を強調する効果もあり、文学的効果を音楽的技法の効果で増幅させている。

 また、言葉のリズムと音楽的リズムはシンクロする。これにより、言葉と音に凄まじい一体感が生まれる。

 サビ直前、原作漫画の画のカットが回されながら歌われる「進む意思を嗤う豚よ」。歌詞の文節は三文字毎に区切れる様に出来ている。この歌詞が歌われるリズムは飛び跳ねる様な緩急豊なリズムであり、旋律の節、歌詞の節を明確にする効果がある。この効果に加えて旋律が徐々に上昇する事で、期待感が生まれる。言葉と音楽に統一感が生まれるのだ。

 両曲は互いにサビの旋律を準えた「サビもどき」を冒頭に奏でるが、歌詞の効果を増幅させる音楽的技法は全く異なる物が使われていた。『残酷な天使のテーゼ』はサビにおいて一度フレーズを低い音で終わらせる事で、「やがて飛び立つ」という更なる跳躍の為の踏み込みを強調、続く歌詞に更なる爆発力を与える。『紅蓮の弓矢』は曲の中で幾度も転調、曲に緊張感保たせつつ、サビの旋律の調を統一する事で、視点の変化を強調する。加え、歌詞の文節を意識した旋律のリズムを作る事でサビへの期待感を盛り上げる。異なる技法を用いつつも、音楽的技法を文学的技法に重ね合わせる事で、サビを更に豪壮に、記憶に残るものに仕上げていた。

アニメーションや色彩の視覚的効果。

 『エヴァ』のオープニングといえば、やはりサビの明滅する激烈なカット回しが記憶に残っている人が多いだろう。それは前半と後半におけるカットの回し方の対比によるものだ。

 前半のカット回しは後半(サビ近辺、以降)に比べ非常に緩やかだ。「蒼い風」に呼応する青空の背景は途中、夕空思しき橙色に変化し、一貫して空が背景だ。一貫した背景は時間の緩やかな流れを演出し、これが後々の明滅するカットとの対比を生み出す。

 Bメロに移り変わる前の「いたいけな瞳」と同時にレイの瞬きする眼が映し出される。今までの画面内の情報の緩やかな変化が突如、瞬きする眼に遮られる事で雰囲気を変わる。以後、カットはグラデーション無しに対比をつける様に回される。この後のカットは、パーカッション(AメロとBメロの繋ぎ、「だけどいつか気付くでしょう その背中には」の後)の拍と同時にカットが回され、視覚的、聴覚的に感じるリズムがシンクロする。加えてカットの回し方の対比がサビに進む予感、押し寄せる大きな波に期待感を抱かせる。

 『進撃の巨人』のオープニングも似たようなカット回しの技法が用いられる。

「屍踏み越えて 進む意思を嗤う豚よ」

「家畜の安寧 虚偽の繁栄 死せる餓狼の「自由」を!」

 虐げられる人類の奮起が描かれる『紅蓮の弓矢』。サビの溢れんばかりの開放感、爽快感は、サビまでの観客の精神の逼迫感が起こしている。この精神の逼迫感を演出するのに一役買っているのがアニメーションの静と動だ。

 サビ直前の歌詞は背景のアニメーションに基づいて4部に分けられる。

 「屍踏み越えて」の部分では壁内の人類への脅威の象徴、原作漫画の超大型巨人の顔が顎から目へ下から上へ移動し、観客は超大型巨人を見上げる。静止画である超大型巨人を動かすアニメーションがなされ、地から這いあがり、屍を踏み越えても、なお巨きな絶滅の権化の前に立たされる。

 「進む意思を嗤う豚よ」では、原作漫画の巨人のコマのカット等(同じく静止画)を曲がリズムを刻むと同じタイミングでテンポよく回す。

 「家畜の安寧 虚偽の繁栄」において、今まで静止画を使う流れから切り替え、アニメーションを使う。この事で爆発的に崩壊する壁がより鮮烈に観客の目に映る。

 「死せる餓狼の「自由」を!」では、壁の崩壊によって空中に投げ上げられた瓦礫とエレンの顔に徐々に視点が近づき、エレンの表情の豹変がドアップで映される。この瞬間に今まで常にグレー系の色で彩色されていた人が初めて人間らしい彩を徐々に帯びていく。

 瓦礫と共に投げ上げられたエレンのアニメーションの動きは今までのアニメーションに比べ実は緩やかだ。人間が初めて彩を帯びる変化、そして曲の盛り上がりに対して異常に緩やかなアニメーション、これがリズムよく回されるカットと共にサビへの期待を盛り上げるのだ。

 何重にも重ねられた観客を掴んで離さぬ技法。全ては曲のサビを盛り上げ、最高の幕上げを飾るに存在する。

 『エヴァ』は今までのカット回しよりも更に激しいカット回しで、『進撃の巨人』は今までに無い程、鮮やかで力強いアニメーションでオープニングの頂きに眩い程のスポットライトを当てる。

 エヴァOPの代名詞と言っても過言ではないサビ怒濤のカット回し。オープニング最後の30秒間の情報を普通は処理できない。あまりの情報量に観客は圧倒されながら本編を見始める。

 30秒間に亘る一閃の如しカットの一枚ずつを見ていくと、『エヴァ』のストーリーの大まかな道筋が見えて来る。情報量に圧倒され、例え断片的にしかカットを覚えていなくとも、本編を見る際、怒涛のカットの余響で「これどこかで見たことあるような…」と感じさせ、物語に興味を持つ種を観客の心に植え付ける。

 これらのカットが並べられている順序にも意味がある。一見これらのカットは人物やエヴァ、風景、テキストを乱雑に並べて、カット回しをしている様に見える。だが、隣り合うカットを見比べてみると色合い、描画対象(人物、風景、エヴァ、テキスト)等、視覚的共通点が非常に少ないカット同士が隣り合う様に配置されている。この事が観客にサビの30秒間、恰も立て続けに落ちる稲光の明滅を見ているかの様に思わせるカラクリなのだ。

 『エヴァ』で用いられる怒濤の明滅カット回しは『進撃の巨人』でも行われる。だが、『エヴァ』がサビに充てたラスト30秒を『進撃の巨人』は伴奏音楽とアニメーションだけで走りきる。歌唱はオープニング開始約1分(1分10秒)で既に終わっている。まずサビの武器アニメーションと音楽の関連について論じる。

 サビにおいて、『進撃の巨人』特有の立体機動装置での戦闘アニメーションが流れる。立体機動装置は胴から射出するワイヤを壁や木に打ち、ワイヤを急速に巻き戻す事で加速する。その為、立体機動装置による移動には加速している時と、そうでない時との間に強い視覚的対比、緩急が存在する。この加速のタイミングと歌詞の節の冒頭が一致している。

 激しい加速の後に続く一瞬の減速、アニメーションの緩急は歌にも緩急に与え、これがサビに疾走感を与えている。

 サビが終ると、風になびく調査兵団のマントが映し出され、蒼穹を背景に飛び上がる兵団員が登場する。ここでも『エヴァ』同様の怒濤のカット回しがある。だが、最も重要なのはオープニングの最後のカットだ。

 主人公たちは茂る大地で皆青空を見上げ、同じ太陽に顔を向けている。これは歌詞が始まって最初のカットとの対比だ。

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 血で染められた荒廃した土地で主人公たちはそれぞれ別方向に向きながら、地面を見つめている。ありとあらゆる方向から対比がされ、画として真逆の意味合いを持つ。

 この意図とは何だろうか。

 最後に晴れ晴れとした大空を見つめる主人公たちを冒頭の主人公たちとは対極的に見せる事で、話の目的地を暗に観客に見せる。観客は例え各話、グロテスクな描写や気が病みそうなエピソードに晒されても、彼らが到達する晴れ晴れとした有頂天を「知っている」から見続ける事が出来、話の展開が気になるのだ。


 『エヴァ』と『進撃の巨人』のオープニングはアニメオープニングの双璧を成すと言っても過言ではない。それ程両作品のオープニングは技巧的なものだった。視覚と聴覚に音楽、文学、そして美術的に訴える技法が随所に散りばめられ、ここまでそれらの技法が緊密に噛み合った作品だからこそ、『エヴァ』と『進撃の巨人』のオープニングは人々の脳裏に深く刻み込まれ、刻み込まれ続けるのだ。

 アニメオープニングは文学、音楽、美術、様々な芸術的分野の技法を巧みに組み合わせ、それらの技法の効果を巧みに重複させる事で観客に果てしなく力強い印象を僅かな時間で与える事が出来るのだ。